2001-01-01から1年間の記事一覧
葬式や法事でろうろうと読まれるお経を拝聴してると(中略)一体このお経はなんと言うお経だったろうかとか、どのような内容のお経だろうかと考えることがよくあります。(中略)本書を開いて頂ければそれぞれの宗派のお経の読み方や内容が分かります。(由…
小林一茶、57歳の作品。『あなた任せ』とは『阿弥陀如来に一切お任せする他力本願』と解説されています(岩波文庫「父の終焉日記/おらが春」)。阿弥陀如来は人々が地獄、餓鬼、畜生、修羅の苦界をさまよう姿を哀れみ、浄土へ生まれ変われるように誓願し…
※坂東性純(ばんどうしょうじゅん)『宿善について』より,月刊「在家仏教」誌 2001年12月号この諺を身近かに置き換えてみると... ・親の心の準備ができると子どもがあらわれる ・夫の心の準備ができると妻があらわれる ・経営者の心の準備ができると従業…
一休も破れ衣で出るときは 乞食坊主と人は言うらん捨て果てて身はなきものと思えども 雪の降る日は寒くぞありける極楽も地獄も我にあるなれば 悪念起こる心制せよ心こそ心まどわす心なれ 心に心こころゆるすな仏とてほかにもとむる心こそ 迷いのなかの迷いな…
知人の中で続いて「ご先祖さまの祟り」という話がありました。 身の回りで病気、事故、不祥事などの不幸が重なった方々です。 親切に教えてくださる方がいて、不本意に亡くなられた先祖の霊が祟っているのだからお墓を探して供養したいということ。私は「あ…
従者「馬に乗って東国へおもむき...軍勢をととのえて戦いましょう」 山背大兄(やましろおうえ)王「そのとおりにすれば勝つことは間違いないだろうが...自分一身のためにどうして万民に苦労をかけよう。また後の世の民から私のために父母を亡くしたと…
人は世間の情にとらわれて生活しているが、結局独りで生まれて独りで死に、独りで来て独りで去るのである。すなわち、それぞれの行いによって苦しい世界や楽しい世界へ生まれて行く。すべては自分自身がそれにあたるのであって、だれも変わってくれるものは…
どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように他人にとってもそれぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自分のために他人を害してはならない。すべての者は暴力におびえている。すべての生きものにと…
両手の世界 両手を合わせる 両手で握る 両手で支える 両手で受ける 両手の愛 両手の情 両手合わしたら 喧嘩もできまい 両手に持ったら 壊れもしまい 一切衆生を 両手に抱け 坂村真民「花ひらく心ひらく道ひらく」 講談社プラスアルファ新書四八頁
すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。 己身(こしん)にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。ブッダ「真理のことば・ダンマパダ」 岩波文庫二九頁 戦争に反対する仏教の立場は「ブッダの真理の言葉」に明らかですが、人びと…
月刊「ナーム」十一月号『編集だより』抜粋○報復とはいったいどういうことだろう。理由はともあれ明らかなのは、また人が死ぬ、必ず殺されるということである。 ○「殺すな」はまた仏教の大前提であり、「とった手段に応じた結果が生まれる」というのも仏教の…
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれはわれにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いをいただく人には、怨みはついに息(や)むことがない。 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことが…
一切を捨て僅かな身の回りの品だけを残して歩く路は、だからこそ得られる様々なご縁に恵まれ、ご縁のお陰で生かされていること、すなわち釈尊が覚られた因縁生起の真理を身近かに知らされる日々でした。弘法大師が残された旅路はすべてを捨てて生きることを…
なつの四国 ゆくえさだめず ぼんのうをみちづれに み親を知れるその日よりなぜか心はときめきて 仮の住み家(か)の憂き世にも悦びわくを覚えたり 我は一人の旅ならずみ親は常にましまして 暗路(やみじ)はるかに照らしつつ行く手をとわに守(も)り給う 南…
いろはにほへと ちりぬるを 色は匂へど 散りぬるを わかよたれそ つねならむ 我が世誰ぞ 常ならむ うゐのおくやま けふこえて 有為の奥山 今日越えて あさきゆめみし ゑひもせず 浅き夢見し 酔いもせず 諸行無常(しょぎょうむじょう) 作られたものはすべて…
諸行無常(しょぎょうむじょう) すべての現象(モノ・コト)は時々刻々に変化しており、一瞬たりとも静止してはいません。 諸法無我(しょほうむが) いかなる存在もそれ自身の永遠不変の固定的実体はありません。時間的・空間的に他と関連しあう相対的・相…
仏教の基本である苦集滅道(くじゅうめつどう)の四つの聖なる心理とその実践である八つの正しい生活態度 苦諦(くたい) 人生は苦である、という真理。四法印でいう一切皆苦(いっさいかいく) 集諦(じったい) 苦には原因がある、それは自我欲望である、…
自己の持つものや行いを広く誰に対しても分け隔て無く与えて身口意(しんくい)(行為と言葉と心)を浄める菩薩の修行 法施(ほっせ) 学んだ真理(仏のおしえ)を伝える。 財施(ざいせ) 価値あるものを与える。 無畏施(むいせ) 恐れる気持ちを取り除き…
二週間ほど費やして四国八十八札所の第一番霊山寺から第二十七番神峰寺を歩いてきました。自力修行の霊場巡拝という気負いではなく春の風と山頭火の詩に誘われて「分けいっても分けいっても青い山」放浪の旅の真似事をしてみたかったのです。札所のお寺毎に…
右ほとけ 左われぞと 合わす掌の 中にゆかしき 南無のひと声よみびと知らず 右手は清浄な仏さま、人間存在の真理。左手は煩悩に汚れたわたし、我執のかたまり。南無は帰依・感謝・信心の気持ち。 でも私たち人間は真善美だけでは生きられません。様々な煩悩…