2004-07-01から1ヶ月間の記事一覧

歎異抄讃歌その三十二 第十八条 寺などに寄進する金品が多いか少ないか

[現代語] 寺や僧侶などに布施として寄進する金品が多いか少ないかによって、大きな仏ともなり、小さな仏ともなる、という人がいます。これは言語道断、とんでもないことであり、筋の通らない話しです。(中略) その寄進は、仏になるための布施の行ともい…

歎異抄讃歌その三十一 第十七条 まずは方便の浄土に往生

[現代語] 浄土の中でも「辺地(へんじ)」といわれる辺鄙な場所があり、本願の他力を疑いながら念仏した人を収容する方便の浄土です。この辺地へ往生した人は、いずれは地獄に堕ちるのだという説は、あきれた話です。(中略) 他力の信心が欠けている念仏…

歎異抄讃歌その三十 第十六条 回心(えしん)はただ一度だけ

[現代語] 阿弥陀仏の本願を信じて念仏する人にとっては「回心(えしん)」はただ一度だけあるものです。本願他力を説く真実の教えを知らなかった人が阿弥陀仏の智慧をいただき、いままでの自力の心では往生できないと気がつきます。そして、これまでのはか…

歎異抄讃歌その二十九 第十五条〈2〉願船に乗じて苦海をわたり(下)

『浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらく』ということが繰り返し述べられています。なんだ覚りを開くのは来世の話しか、それじゃあ興味ないな、という方、ちょっとお待ちください。テーマは「いのち」です。私たちは、生まれる前…