2004-02-01から1ヶ月間の記事一覧

歎異抄讃歌その十一 第五条 父母の追善供養のために念仏しません

[現代語] わたし(親鸞)は亡き父母の追善供養のために念仏したことは一度もありません。命のあるものはみな、これまでに何度となく生まれかわり死にかわりしてきた中で、私の父母・兄弟・姉妹であったのです。ですからこの世の命を終えて浄土に往生して仏…

歎異抄讃歌その十 第四条 慈悲とは〜仏となり〜すべてのものを救う

[現代語]聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、いつくしむことです。しかし思いのままに救いとげることは、きわめて難しいことです。一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、思うがままにすべての…

歎異抄讃歌その九 第三条〈2〉他力をたてまつる悪人、往生の正因

[原文] 煩悩具足(ぐそく)のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人…

歎異抄讃歌その八 第三条〈1〉善人なほ往生をとぐ、いはんや悪人をや

[原文] 善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をた…