2004-01-01から1年間の記事一覧

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜十八 六観音さまの救い 上

観音さまは三十三の姿、すなわちあらゆるものにに変身して、人びとを救うと説かれます。その信仰を様々な種類の彫刻に表しましたが、その代表として「六観音(ろくかんのん)」という考え方があります。六道(ろくどう=迷いによって引き起こされる苦悩の世…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜十七 戦場の危険からの救い 下

イラクで戦争が始まったとき、自衛隊が派兵されたとき、ボランティアや報道の人が現地勢力に連行されたり殺されたりしたとき、私は一心に観音経を称えました。イラク人も、アメリカ人も、日本人も、兵士も市民も『戦争になって軍隊の陣中で恐れおののいてい…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜十六 戦場の危険からの救い 上

[経文] 訴訟して裁判所で争ったり、戦争になって軍隊の陣中で恐れおののいているときも【観音様のお力を信じて念じたならば】もろもろの怨みはみな退散する。私は観音経の中でも、このくだりが特に印象深いのです。[原文] 争訟経官所 怖畏軍陣中 念彼観…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その十五 呪文・毒薬・毒気からの救い

[経文] 呪文や毒薬によって害しようとする者がいても【観音さまの力を念ずれば】それらを使う者の方に戻っていく。 ムカデ、毒蛇、サソリなどの毒気が、火炎や煙のように迫ってきても【観音さまの力を念ずれば】その祈りを聞いて元に帰っていく。自分が知…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その十四 畏れない安心を授かる 下

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その十四 畏れない安心を授かる 下さて私たちが観音さまのお心を頂いて「無畏施(むいせ)」を心がけるときの指針が、財産がない者にでも出来る『無財の七施(むざいのしちせ)』です。1. 眼施(げんせ) やさしい眼…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その十三 畏れない安心を授かる 上

[経文] 観音さまは様々な姿で旅を続け、人びとを救済する。私たちが危急の困難にあって恐れていても、無畏(むい、畏れの無い安心感)を与える。だから施無畏者(せむいしゃ、畏れの無い安心感を施してくださる方)という。仏教修行者の実践徳目の第一番目…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その十二 三十三の姿に変身

[経文] 観音さまは救うべき人それぞれに合わせた姿に変身して、覚りをひらく教えを説く。 仏さま、修行者、梵天、帝釈天、国王、将軍、貴族、学者、役人、バラモン教の司祭、仏教の僧侶、尼僧、在家の男性仏教徒、在家の女性仏教徒、[貴族・学者・役人・…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その十一 子宝に恵まれます

[経文] 男の子を生みたい女性が【観世音菩薩を礼拝し供養すれば】前世での善い行いにより、容姿端麗で聡明な男子が授かる。女の子を生みたい女性が【観世音菩薩を礼拝し供養すれば】前世での善い行いにより、みめ麗しく上品で多くの人に愛される女子を授か…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その十 三毒からの救済

[経文] 淫欲に囚われても【つねに観音さまを念じて敬まえば】欲を離れることができる。 憎悪に狂っても【つねに観音さまを念じて敬まえば】怒りを離れることができる。 愚痴に迷っても【つねに観音さまを念じて敬まえば】愚かさを離れることができる。私た…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その九 七難(7)怨賊難(おんぞくなん)

[経文] 怨賊が充満している世界を、一人の商人が人びとを率いて財宝を運ぶ旅をしていた。そして険しい道を進むとき、皆に呼びかけた。「皆さん、観音さまに祈りましょうましょう。必ず恐れない心を授かり、怨賊の危難から逃れられます。」人びとは一斉に「…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その八 七難(6)枷鎖難(かさなん)

[経文] 罪があるか無実であるかを問わず、手・足・首を枷鎖(かさ=カセや鎖)につながれていても、カセや鎖は壊れ溶けてしまって解放される。[心] 人間を縛り付けている「カセや鎖」も沢山あります。 我執(がしゅう)と自尊心で自分を縛り、縛られた自…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その七 七難(5)鬼難(きなん)

[経文] 国中に住んでいる鬼が人を悩まそうとやってきても、悪意の眼でみつめたり害を加えることはできない。[心] 『鬼』は自分の心の声、心に住む悪魔、心の誘惑、他人への恨み。証明の出来ない実感なのですが、人間の心には神も仏も、鬼も悪魔も住んで…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その六 七難(4)刀杖難(とうじょうなん)

[経文] 王様に罰せられ、刀で斬られたり棍棒で叩かれる被害を受けるとき、相手の振り上げる刀や棍棒が粉々に砕ける。[心] 刀や棍棒は自分への批判、攻撃、嘲り、落とし穴、誹謗中傷など。真正面から対決すると騒ぎが大きくなり、傷も深まるばかりです。…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その五 七難(3)風難(ふうなん)

[経文] 金・銀・るり・しゃこ・めのう・さんご・こはく・ひすい・真珠などの宝を求めて大海に船出したとき、暴風が吹き荒れて食人鬼の国に打ち上げられても、その苦難を免れることができる。[心] 『金・銀……などの宝』とは人間がそなえている仏性(ぶっ…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その四 七難(2)水難

[経文] 大水や集中豪雨や波浪に流され漂うことがあっても、すぐに浅瀬を得る。 [心] 水の難は溺れることです。人情、異性、愛欲、酒、権力など、この世では溺れる誘惑には事欠きません。これらも心のなかの煩悩の表れです。荒波のために 乗っている船が…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜 その三 七難(1)火難

観音さまのご利益(りやく)の代表は、七難(しちなん)からの救済です。火、水、風、刀杖(とうじよう)、鬼、枷鎖(かさ)、怨賊(おんぞく)の七つの苦難に遭っても【観音さまのお力を信じて念じたならば】 救われます。『色の白いは七難かくす』といって…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜 その二 観音経の学び方

観音さまの教えはいくつかのお経に記されていますが、なかでも『観音経(法華経の第二五章)』が中心です。火事や水害や処刑や盗賊から救い出してくれるとか、よい子が授かるとか、戦場でも怖くないとか、ご利益(りやく)が具体的に説かれています。 このお…

憎悪と暴力からの救い[観音さまの慈悲]その一 なぜ観音さまか

世界も日本も、街も職場も学校も家庭も、人の心も、憎悪と暴力が支配しようとしているようです。動物の中でも必要以上に(生存のための限度を超えて)生き物を殺し、仲間内でも殺し合う存在は人間だけだといわれます。それがあたかも避けがたい人間の本質で…

歎異抄讃歌その三十六 たのめ たすける (このシリーズ最終回)

本多良之さんという浄土真宗の僧侶がおいでになります。 浄土教や親鸞聖人の信心について私が教えていただいた方のお一人です。台東区の妙清寺というお寺のご住職で、書も画も良くされ、絵手紙教室の先生でもあります。あるとき直筆の色紙をいただきました。…

歎異抄讃歌その三十五 後序〈3〉善悪の二つ総じてもって存知せざるなり

[原文] 善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどに知り通したらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ。如来の悪しとおぼしめすほどに知り通したらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡…

歎異抄讃歌その三十四 後序〈2〉弥陀の本願は親鸞一人がためなり

[現代語]阿弥陀仏が長い長い間思いをめぐらせてたてられた本願をよくよく考えてみると、この親鸞一人をお救いくださるためであった。思えば、この私はこれほどに重い罪を背負う身であったのに、救おうと思いたってくださった阿弥陀仏の本願の何と勿体ない…

歎異抄讃歌その三十三 後序〈1〉私の信心も法然上人の信心も同じ

[意訳] 【親鸞】私の信心も、お師匠さまの法然上人の信心も同じです。 【他の弟子】尊い法然上人さまと弟子の親鸞殿の信心が同じだなどということがあろうか。なんと恐れ多いことだ。 【親鸞】もちろん智慧や学識は全く及びませんから、それが同じだと申し…

歎異抄讃歌その三十二 第十八条 寺などに寄進する金品が多いか少ないか

[現代語] 寺や僧侶などに布施として寄進する金品が多いか少ないかによって、大きな仏ともなり、小さな仏ともなる、という人がいます。これは言語道断、とんでもないことであり、筋の通らない話しです。(中略) その寄進は、仏になるための布施の行ともい…

歎異抄讃歌その三十一 第十七条 まずは方便の浄土に往生

[現代語] 浄土の中でも「辺地(へんじ)」といわれる辺鄙な場所があり、本願の他力を疑いながら念仏した人を収容する方便の浄土です。この辺地へ往生した人は、いずれは地獄に堕ちるのだという説は、あきれた話です。(中略) 他力の信心が欠けている念仏…

歎異抄讃歌その三十 第十六条 回心(えしん)はただ一度だけ

[現代語] 阿弥陀仏の本願を信じて念仏する人にとっては「回心(えしん)」はただ一度だけあるものです。本願他力を説く真実の教えを知らなかった人が阿弥陀仏の智慧をいただき、いままでの自力の心では往生できないと気がつきます。そして、これまでのはか…

歎異抄讃歌その二十九 第十五条〈2〉願船に乗じて苦海をわたり(下)

『浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらく』ということが繰り返し述べられています。なんだ覚りを開くのは来世の話しか、それじゃあ興味ないな、という方、ちょっとお待ちください。テーマは「いのち」です。私たちは、生まれる前…

歎異抄讃歌その二十八 第十五条〈1〉願船に乗じて苦海をわたり(上)

[原文] ・ 煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくといふこと、この条もってのほかのことに候ふ。 ・ 来生の開覚(らいしょうのかいかく)は他力浄土の宗旨、信心決定の通故なり。これまた易行下根(いぎょうげこん)のつとめ、不簡善悪(ふけんぜん…

歎異抄讃歌その二十七 第十四条 念仏は大悲の恩を報じ徳を謝す

[現代語] 阿弥陀仏の誓願という光明に照らされて、本願を信じる心が起きるとき、決して壊れることのない信心をいただきます。その時に、浄土へ往生することが約束され、この世の命が終わればもろもろの「煩悩悪障(あくしょう)を転じて無生忍(むしょうに…

歎異抄讃歌その二十六 第十三条〈3〉漁や釣りをする人〜獣や鳥を狩る人

[現代語] 海や川で漁や釣りをして暮らしを立てる人も、野や山で獣や鳥を狩って生活する人も、売買の商いをするひとも、田畑を耕して日々送る人も、人間として全く同じです。今の時代に、仏教は職業の貴賎を問わないといっても当たり前の話しですが、800年…

歎異抄讃歌その二十五 第十三条〈2〉薬あらばとて毒を好むべからず

[現代語] かつて邪悪な考えにとらわれた人がいました。悪を犯した者をお救いくださる本願であるからと、わざわざ悪事をはたらき、それで阿弥陀仏に救っていただくための原因にしようと説きました。その悪い噂が伝わってきたときに親鸞聖人はお手紙を書き「…