2004-03-01から1ヶ月間の記事一覧

歎異抄讃歌その十五 第九条 踊りあがるような喜びの心が湧きません

[ 現代語 ] 【唯円】念仏しておりましても、踊りあがるような喜びの心がそれほど湧いてきません。また早く浄土に往生したいという心も起こってきません。これはどうしたものでしょうか? 【親鸞】実は私もその疑問があったのですが、唯円坊も同じ心持ちだ…

歎異抄讃歌その十四 第八条 念仏は修行でもなく善行でもありません

[現代語] 念仏は、それを称えるものにとっては、修行でもなく、善行でもありません。(中略)念仏は、ただ阿弥陀仏の本願のはたらきなのであって、自力を離れているから、それを称えるものにとって、修行でもなく善行でもないのです。修行とか善行は、その…

歎異抄讃歌その十三 第七条 念仏は無碍(むげ)の一道なり

【原文】 念仏は無碍(むげ)の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇(てんじん・ちぎ)も敬伏(きょうぶく)し、魔界・外道も障碍(しょうげ)することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず。【現代訳】 念仏は、何者にも妨げら…

歎異抄讃歌その十二 第六条 親鸞は弟子一人も持たず候ふ

[原文] 親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにてひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかって念仏申し候ふひとをわが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。(中略)師にそむきて、ひとにつれて…