2003-01-01から1年間の記事一覧

歎異抄讃歌その二 日本仏教のルネッサンス・鎌倉新仏教の登場

1192年、源頼朝が将軍となって鎌倉時代が始まります。まず次の一覧をどうぞ。法然 浄土宗 1133 〜 1212 栄西 臨済宗 1141 〜 1215 親鸞 浄土真宗 1173 〜 1262 道元 曹洞宗 1200 〜 1251 日蓮 日蓮宗 1222 〜 1282 一遍 時宗 1239 〜 1289今日に至る日本仏教…

歎異抄讃歌その一 心を揺さぶる信仰の書

歎異抄(たんにしょう、たんいしょう)と聞いただけで、その文字を目にしただけで、深い感慨にとらわれる宗教者は数えきれません。私もその一人です。書斎の本棚に「歎異抄」増谷文雄著、昭和39年(1964年)筑摩書房。があります。家庭、学校、社会、人間関…

良寛さんの心その十三 心のふるさとのような人(最終回)

[その八 執着から離れた人(上)]にて、「謄々(とうとう)天真にまかす」とは「嘘偽りのないありのままの世界を自由自在に生きる」ということで、良寛さんの人生観の根本を表す言葉だと申しました。不器用な人、童心の人、仏さまのような人、良識の人、孤…

良寛さんの心その十二 情熱的な恋の人(下)

(良寛) 君や忘る 道や隠るるこの頃は 待てど暮らせど 訪れのなき (貞心尼) 事しげき むぐらの庵(いお)に閉じられて 身をば心に 任せざりけり[意訳] (良寛) あなたは約束をお忘れになったのでしょうか それとも草が生い茂って道が隠れてしまったの…

良寛さんの心その十一 情熱的な恋の人(上)

良寛さん70才、貞心尼(ていしんに)さん30才、出会いから5年の間、何回も会い、和歌をやりとりし、最後に良寛さんのお浄土への旅立ちを貞心尼さんが見送りました。そしてお二人の交流を「はちすの露」という記録に残してくださいました。おかげで私たちも、…

良寛さんの心その十 執着から離れた人(下)

[手紙] (略)災難にあう時節には 災難にあうがよく候 死ぬ時節には 死ぬがよく候 これはこれ 災難をのがるる妙法にて候大地震にあわれた時のお手紙の一節ですが、逃れられない大災害や病気や不幸に遭遇したときの心構えです。こういう話は当事者でないも…

良寛さんの心その九 執着から離れた人(中)

[詩] 首(こうべ)をめぐらせ七十有余年 人間(じんかん)の是非 看破(かんぱ)に飽きたり 往来 跡は幽(かすか)なり 深夜の雪 一ちゅうの線香 古窗(こそう)の下[意訳] 顧みれば七十年以上も生きてきて 世間の人々の是非をあらそう様子はもう見飽きた…

良寛さんの心その八 執着から離れた人(上)

[詩] 生涯 身を立つるにものうく 謄々(とうとう) 天真にまかす 嚢中(のうちゅう) 三升の米 炉辺(ろへん) 一束の薪(しん) 誰か問わん 迷悟(めいご)の跡 何ぞ知らん 名利(みょうり)の塵 夜雨(やう) 草庵の裡(うち) 雙脚(そうきゃく) 等間…

良寛さんの心その七 孤独を愛する人

[和歌]世の中に まじらぬとには あらねども 一人遊びぞ 我はまされる山住の あはれを誰に 語らまし まれにも人の 来ても問はねばわが宿は 越(こし)のしら山 冬ごもり 往き来の人の あとかたもなし今よりは ふる里人の 音もあらじ 嶺(みね)にも峰(を)…

良寛さんの心その六 良識の人

良寛さんが書かれた「自戒のことばが」残されています。そのうちの一つで「こころよからぬものは」ということばをご紹介します。ことばの多き 口のはやき さしで口 手柄話 へらず口 唐ことば(中国語)を好みてつかふ おのが意地をはりとほす もの知り顔のは…

良寛さんの心その五 仏さまのような人(下)

[逸話] あるとき泥棒が入ったが盗むものがない。良寛が寝ている布団を持っていこうとしたので、眠ったふりをして自分から寝返りをうち、取やすいようにして、わざと盗ませた。(または手ぶらで帰ろうとする盗人を呼び止め、綿入れを脱いで渡した)ぬす人に…

良寛さんの心その四 仏さまのような人(上)

[和歌] くさむらの 蛍とならば 宵々(よいよい)に 黄金(こがね)の水を 妹(いも)たまうてよ[意訳] (黒い衣を着ている私を)草むらにいる蛍と名づけたのはあなたなんですから、宵の口にはお酒を恵んでください。この歌は、良寛さんが親しく出入りし…

良寛さんの心その三 童心の人

[和歌] この里に 手毬つきつつ 子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし[詩] (略)児童 忽ち我を見て 欣然 相率いて来る 我を要す 寺門の前 我を携えて 歩み遅々たり 盂(う)を白石の上に放ち 嚢(ふくろ) を緑樹の枝に掛け 此に百草を闘わし 此に毬子を…

良寛さんの心その二 不器用な人

[逸話] 7才のころ、朝寝坊をして父親に叱られ、上目づかいで父親をじっと見た。「親を睨むとカレイになるぞ」と言われて、フイと飛び出し、夕暮れになっても帰って来ない。家人が探し回ると浜辺の岩の上でしょんぼりしているところを見つけられた。「こん…

良寛さんの心その一 人生の概略

良寛さんは、子供と遊ぶのが好きで、世の中の俗事にはこだわらず、財産や名声や地位に対する欲望がなく、お坊さんでありながらお寺に住まず、毎日托鉢して、村の子供たちと遊び、詩や和歌や俳句を作ったり、書をかいたり、その日その日を悠々と過ごしていた…

100万回生きたねこ

100万回生まれかわった猫のお話佐野洋子 作 絵「100万回生きたねこ」講談社「100万回死んで100万回生きた猫がいました〜王様の飼猫のとき戦争で死に〜船乗りの飼猫のとき海に落ちて死に〜泥棒の飼猫のとき犬にかみ殺され〜女の子の飼猫のときひ…

今日もにこにこ きよこさん

今日もにこにこ きよこさん 今回は本の紹介です介護のうた「今日もにこにこ きよこさん」 横戸喜平治著 水書房

「只今(ただいま)」は「今のみ、今しかない」

「只今(ただいま)」は「今のみ、今しかない」 過ぎ去れるを追うことなかれ、いまだ来たらざるを念(ねが)うことなかれ。過去、そはすでに捨てられたり、未来、そはいまだ到らざるなり。されば、ただ現在するところのものを、そのところにおいてよく観察す…

殺人未遂で指名手配されていたお遍路さん

[ 7月9日に逮捕されたお遍路さんは、12年前の殺人未遂事件で指名手配されていた80才の容疑者である。俳句をつくり、接待のお礼に句集を配りながら四国八十八カ所を6年間巡っていた彼は、出会う人々に感銘を与えてきた伝説的人物だった。彼を追うNHK番組…

横丁のご隠居風 在家林住期のすすめ その五

まずは前回の復習です。第一が「学生期(がくしょうき)」 師匠に入門して勉学に励み、禁欲生活をおくる。第二が「家住期(かじゅうき)」 家を構え、結婚し、子どもを養い、一族をまもり、職業にいそしんで、ご先祖のまつりや供養をたやさない。第三が「林…

横丁のご隠居風 在家林住期のすすめ その四

まずは前回の復習です。第一が「学生期(がくしょうき)」 師匠に入門して勉学に励み、禁欲生活をおくる。第二が「家住期(かじゅうき)」 家を構え、結婚し、子どもを養い、一族をまもり、職業にいそしんで、ご先祖のまつりや供養をたやさない。第三が「林…

横丁のご隠居風 在家林住期のすすめ その三

まずは前回の復習です。第一が「学生期(がくしょうき)」 師匠に入門して勉学に励み、禁欲生活をおくる。第二が「家住期(かじゅうき)」 家を構え、結婚し、子どもを養い、一族をまもり、職業にいそしんで、ご先祖のまつりや供養をたやさない。第三が「林…

横丁のご隠居風 在家林住期のすすめ その二

まずは前回の復習です。第一が「学生期(がくしょうき)」 師匠に入門して勉学に励み、禁欲生活をおくる。第二が「家住期(かじゅうき)」 家を構え、結婚し、子どもを養い、一族をまもり、職業にいそしんで、ご先祖のまつりや供養をたやさない。第三が「林…

横丁のご隠居風 在家林住期のすすめ その一

仏教を勉強していると、古代インドの生活習慣に触れて「なるほど」と思うことがあります。その一つが「四住期(しじゅうき)」という人生観で、四つの段階で人生を過ごすのが人間の幸福だとされていました。四住期に学びながら現代の生き方を考えました。第…

私の信心生活その二十智慧 (このシリーズ最終回)

日常生活の指導項目である六波羅蜜(ろくはらみつ)を締めくくるのは、第六項の「智慧(ちえ)」です。これは古代インド語「パンニャー」の意訳で、音訳は「般若」です。そう、般若心経の般若です。鬼女の面も般若といいますが、これは「般若某」という名前…

私の信心生活その十九 精進

お釈迦さまは、出家して数年間は当時のインドの修行者に見習い、断食などの様々な苦行(くぎょう)によって肉体を鍛える修行に没入されました。 中央アジアで作られた、殆ど骨と皮だけの仏像の写真をよくみますが、あれはこのころの厳しい苦行の姿を表現して…

私の信心生活その十八 精進

「精進(しょうじん)」は古代インド語「ヴィーリヤ」を中国語に意訳したもので、インド語それ自体は「雄々しさ」「勇気」「力」、仏教の実践徳目としては「努力」「一心に努め励む」「心を励まして仏道を進む」という意味で使われます。「精進料理・精進揚…

私の信心生活その十七 忍辱(2)

常不軽(じょうふぎょう)菩薩さまという方がおいでになりました。 すべての人々に対して 『私はあなた方を深く敬います。決して軽んじたりあなどったりしません。いずれみなさんは菩薩の道を歩まれて、仏さまになるからです。』 といって礼拝しました。見知…

私の信心生活その十六 忍辱(1)

忍辱(にんにく)は耐え忍ぶということですが、元々仏教は人生を「苦」と見なしています。 私たちはこの現実世界を「娑婆(しゃば)」といいます。娑婆(しゃば)は古代インド語の「サハー」の音訳で、汚辱と苦しみに満ちた「忍土(にんど)」と意訳されます…

私の信心生活その十五 持戒(2)

3 不邪淫 ふじゃいん邪(よこしま)な性的関係を排するこの戒律は、以前は、政治的経済的に権力者の地位にある者が、家臣やその家族に対する不正を行わないようにという戒めであったのでしょう。 またお釈迦さまを慕う出家者が集団となり、僧院・尼僧院で共…