2006-01-01から1年間の記事一覧

「聖徳太子の十七条憲法」その十 我かならず聖ならず、彼かならず愚ならず、共に凡夫

第十条 [我かならず聖ならず、彼かならず愚ならず、共に凡夫]心の怒りを絶ち、瞋(おもへりのいかり)を棄てて、人の違(たが)ふを怒らざれ。人皆心あり。心おのおの執(と)ることあり。彼是(よ)んずれば、すなはち我は非(あし)んず。我是(よ)んず…

「聖徳太子の十七条憲法」その九 信あらば何の事か成らざらん、信なくば悉くに敗れむ

第九条 [信あらば何の事か成らざらん、信なくば悉くに敗れむ]信(まこと)これ義(ことわり)の本(もと)なり。事(わざ)ごとに信(まこと)あるべし。それ善(よ)さ悪(あ)しさ、成(な)り敗(な)らぬこと、かならず信(まこと)にあり。群臣(まち…

「聖徳太子の十七条憲法」その八 公事いとまなし、終日に尽し難し

第八条 [公事いとまなし、終日に尽し難し]群卿(まえつきみたち)・百寮(もものつかさ)、早く朝(まひ)りて、おそく退(まか)ず。公の事いとまなし。終日(ひねもす)に尽し難し。これをもって、遅く朝(まひ)るときは急(すみや)かなるに逮(およ)…

「聖徳太子の十七条憲法」その七 生まれながら知る人少なし、よく念ひて聖となる

第七条 [生まれながら知る人少なし、よく念ひて聖となる]人各(おのおの)任(よさし)あり。掌(つかさど)ること濫(みだ)れざるべし。 それ賢哲(さかしひと)官(つかさ)に任(よさ)すときは、頌(ほ)むる音(こえ)すなはち起こる。奸(かだま)…

「聖徳太子の十七条憲法」その六 悪を懲らしめ、善を勧むる

第六条 [悪を懲らしめ、善を勧むる]悪(あ)しきを懲らしめ、善(ほま)れを勧むるは古(いにしへ)の良き典(のり)なり。これをもって人の善(ほま)れを匿(かく)すことなかれ。悪(あ)しきを見ては必ず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)ひ詐(あざむ)…

「聖徳太子の十七条憲法」その五 治むる者、利を得て常とし、賄を見ては聴く

第五条 [治むる者、利を得て常とし、賄を見ては聴く]餐(味わいのむさぼり)を絶ち、欲(たからおしみ)を捨てて、明らかに訴訟(うったへ)を弁(さだ)めよ。それ百姓(おおみたから)の訟(うったへ)は一日に千の事(わざ)あり。一日すら尚(なほ)し…

「聖徳太子の十七条憲法」その四 民を治むるの本、礼に在り

第四条 [民を治むるの本、礼に在り]群卿(まちきみたち)百寮(ひゃくりょう)、礼(いや)びをもって本(もと)とせよ。それ民(おおみたから)を治むるの本(もと)、かならず礼(いや)びに在り。上(かみ)礼(いや)びなきときは、下(しも)斎(とと…

「聖徳太子の十七条憲法」その三 天は覆ひ、地は載す

第三条 [天は覆ひ、地は載す]詔(みことのり)を承(うけたまは)りては必らず謹め。君(きみ)をばすなはち天(あめ)とす。臣(やつこら)をばすなはち地(つち)とす。天(あめ)は覆(おお)ひ、地(つち)は載(の)す。四(よ)つの時、順(したが)…

「聖徳太子の十七条憲法」その二 人はなはだ悪しきもの鮮(すくな)し

第二条 [人はなはだ悪しきもの鮮(すくな)し]篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬ふ。三宝とは仏・法・僧(ほとけ・のり・ほうし)なり。すなはち四つの生まれの終りの帰(よりどころ)、万(よろず)の国の極(きわま)れる宗(むね)なり。いずれの世、い…

「聖徳太子の十七条憲法」その一 和わらぐをもって貴し

第一条 [和(や)わらぐをもって貴(とうと)し] 和(や)わらぐをもって貴(とうと)しとなす。さかふること無きを宗となす。人みな党(たむら)あり。また達(さと)る者少なし。これをもってあるいは君(きみ)父(かぞ)に順(したが)はず。また隣里…

「雨にもまけず…」その十七 そういうものに わたしはなりたい(シリーズ最終回)

そういうものに わたしはなりたい 賢治さんの病中の詩「手は熱く足はなゆれど」をご紹介します。手は熱く足はなゆれど われはこれ塔を建つるもの 滑り来し時間の軸の をちこちに美(は)ゆくも成りて 燎々(りょうりょう)と暗(やみ)をてらせる その塔のす…

「雨にもまけず…」その十六 みんなにデクノボーとよばれ

みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず デクノボーは法華経の第二十章「常不軽菩薩(ジョウフギョウボサツ)」、常に軽んじない菩薩さまのお話です。この方は誰に対しても「私はあなた方を深く敬います。決して軽んじたり慢ったりしません…

「雨にもまけず…」その十五 ひでりのときはなみだをながし

ひでりのときはなみだをながし さむさのなつはおろおろあるき 「ひでり」「さむさのなつ」は自然災害の代表例でしょう。台風、大雨、洪水、地震、火山噴火、害虫の大量発生など。農作物の生育に甚大な被害を与え、飢饉となり、生活を直撃します。疫病も同様…

「雨にもまけず…」その十四 北にけんかやそしょうがあれば

北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい 観音経の一節が浮かびます。訴訟のために裁判所に出向いても、戦場で恐怖心に襲われても、 観音さまに祈れば、数多くの怨みはみな退散してしまう。この経文の大事な点は二つです。 第一に、争いの…

「雨にもまけず…」その十三 老いることの苦 下

● 社会的役割の喪失 定年退職し、子供が独立すると、余った時間の過ごしようがありません。 女性は仲間作りが上手ですから、PTAの役員会やカルチャーの出会いがすぐに仲間になります。社会学者の上野千鶴子さんによると「女縁=ジョエン」といって、これ…

「雨にもまけず…」その十二 老いることの苦 上

賢治さんの「雨にもまけず…」では「老」については触れられてはいませんが、ここはどうしても考えてみたいところです。 老=苦ではありません。高齢になってこそ得られる豊富な経験、精神的成熟、社会的基盤、自信、などから考えると、青年期や壮年期には想…

「雨にもまけず…」その十一 南に死にそうな人あれば

南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 「死」が苦であるのは、生き続けたいと望む事情があること、または死後の世界が怖いからです。 人間の死は逃れられない事実で、生き続けたいという望みが叶えられないことは、誰でも知っています。…

「雨にもまけず…」その十 西につかれた母あれば

西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 賢治さんの時代の母は、貧困や飢饉や疫病や戦争や差別や暴力に苦しめられ、生きることにつかれたんだろうと思います。何かハンディキャップがあれば生きることが大変だったでしょう。障害、冷害、借金、失業、…

「雨にもまけず…」その九 東に病気のこどもあれば

東に病気のこどもあれば 行って看病してやり。 ここから東西南北が出てきますから、あらゆる方向の悩みを持った人々に心を配ることです。生老病死について、再度深く考えてみます。 病いの苦について。これは二重の苦です。第一は病いそのものがもたらす、痛…

「雨にもまけず…」その八 留鳥だからこそ

野原の松の林の蔭の 小さな萱ぶきの小屋にいて バードウオッチングは私の趣味ですが、野鳥の生活場所は三つに分かれます。留鳥(リュウチョウ) いつも同じ場所に住んでいる。 スズメやカラスやカルガモ。漂鳥(ヒョウチョウ) 地域内で秋冬と春夏に移動して…

「雨にもまけず…」その七 心に念じて忘れない

よくみききし わかり そしてわすれず サラリとした表現ですが、観音経の一節が浮かびます。聞名及見身 モンミョウギュウケンシン 観音様のお名前を聞きお姿を見て 心念不空過 シンネンフークーカ 心に念じて忘れなければ 能滅諸有苦 ノウメツショーウークー …

「雨にもまけず…」その六 グスコーブドリの伝記

あらゆることを じぶんをかんじょうに入れずに 2500年前にお釈迦さまが説かれた仏教は、人生の苦しみから脱却し、人間として救われるための教えでした。人々が仏教を信じ広まっていく中で自分だけでなく仲間も一緒に救われるべきではないか 出家者だけでなく…

「雨にもまけず…」その五 欲望からの解放

一日に玄米四合と 味噌と 少しの野菜を食べ 玄米と味噌と野菜は、欲望を節制する象徴です。 人間の欲望を分析する方法が二つあります。(1)人間の五つの感覚から起こる欲望 眼 見る かたち 耳 聞く 音声 鼻 嗅ぐ 匂い 舌 味わう 舌の味わい 身 触れる 手触…

「雨にもまけず…」その四 煩悩の克服

欲はなく 決していからず いつもしずかにわらっている 四苦八苦を抜け出たら、次は煩悩(ボンノー)。身心を乱し悩ませ、正しい判断を妨げる心のはたらきが煩悩です。どん欲、怒り、無知が根本煩悩。 どん欲は、好ましい対象に対する強い執着、激しい欲求、…

「雨にもまけず…」その三 苦から抜け出す仏教の智慧

生老病死の四苦を抜け出す智慧、それは『かくあるべき』に囚われないことです。私たちは既にこの世に生まれて生きており、老い、病にもなり、そして死にます。それは事実であり、自然であり、良い悪いではありません。私たちにできることは、よりよく生きる…

「雨にもまけず…」その二 一切は苦である

雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち冒頭の句。雨、風、雪、夏の暑さは四季を通じての苦難の象徴です。四季は人間の一生ですから、人生の一切は苦の中にある、一切皆苦=イッサイカイクという認識です。 仏教は人間の心…

「雨にもまけず…」その一 求道者の心を訪ねる旅

雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち 欲はなく 決していからず いつもしずかにわらっている 一日に玄米四合と 味噌と 少しの野菜を食べ あらゆることを じぶんをかんじょうに入れずに よくみききし わかり そしてわすれ…

極楽浄土の心をたずねる旅その四十三 人々の幸せと私の救いと(最終回)

[薫] 大無量寿経の四十八願を読み、極楽浄土の心をたずねててきました。どん欲と、怒りと、愚かさと、争いに支配された心を解放し、執着心に囚われない自由な人間性の再生です。阿弥陀仏の教えを理解し、日々の生活に生かしていく心の状態、それがこの世の…

極楽浄土の心をたずねる旅その四十二 覚悟証(下)阿弥陀仏との出会いもご縁

[薫] 阿弥陀仏は他の教えの修行者に対し、自分の信じる道を行くように勧め、阿弥陀仏の教えを説こうとはしないことについて。 阿弥陀仏は、阿弥陀仏自身の教えが「誰にも、いつでも、どこでも」絶対であるとは思っていないのです。仏教には沢山の仏さまが…

極楽浄土の心をたずねる旅その四十一 覚悟証(中)そのままお進みなさい

[薫] 前回の続き。「阿弥陀仏の名を聞くならば」と言っており、決して「南無阿弥陀仏を称えるならば」とは言ってないことについてです。 宗教者の布教活動は、自分が出会い信じる教えが素晴らしいので、他人にも教えてあげようという使命感から始まります…