2004-08-01から1ヶ月間の記事一覧

歎異抄讃歌その三十六 たのめ たすける (このシリーズ最終回)

本多良之さんという浄土真宗の僧侶がおいでになります。 浄土教や親鸞聖人の信心について私が教えていただいた方のお一人です。台東区の妙清寺というお寺のご住職で、書も画も良くされ、絵手紙教室の先生でもあります。あるとき直筆の色紙をいただきました。…

歎異抄讃歌その三十五 後序〈3〉善悪の二つ総じてもって存知せざるなり

[原文] 善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどに知り通したらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ。如来の悪しとおぼしめすほどに知り通したらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡…

歎異抄讃歌その三十四 後序〈2〉弥陀の本願は親鸞一人がためなり

[現代語]阿弥陀仏が長い長い間思いをめぐらせてたてられた本願をよくよく考えてみると、この親鸞一人をお救いくださるためであった。思えば、この私はこれほどに重い罪を背負う身であったのに、救おうと思いたってくださった阿弥陀仏の本願の何と勿体ない…

歎異抄讃歌その三十三 後序〈1〉私の信心も法然上人の信心も同じ

[意訳] 【親鸞】私の信心も、お師匠さまの法然上人の信心も同じです。 【他の弟子】尊い法然上人さまと弟子の親鸞殿の信心が同じだなどということがあろうか。なんと恐れ多いことだ。 【親鸞】もちろん智慧や学識は全く及びませんから、それが同じだと申し…