2005-01-01から1年間の記事一覧

極楽浄土の心をたずねる旅その二十五 柔軟に受けいれるから生きていける

第三十三願 世界中の悩み苦しむ人々は、阿弥陀仏の智慧の光明に照らされると、身も心も固さがほぐれて柔軟になる。第三十四願 世界中の悩み苦しむ人々は、阿弥陀仏の名前を聞くならば、善悪・苦楽・是非・生死の迷いの世界にありながらも、真理を覚り、教え…

極楽浄土の心をたずねる旅その二十四 外の世界を知り、外の世界へ伝わっていく

第三十一願 極楽浄土では、国土は清らかであり、修行者は、ちょうど曇りのない鏡に自分の顔を映すように、様々な仏の真理の世界を照らし出して見ることができる。第三十二願 極楽浄土では、大地から天空に至るまで宮殿・楼閣・池や水の流れ・樹々の花などの…

極楽浄土の心をたずねる旅その二十三 善行が少なくても見仏、聞法、説法で菩薩に

第二十八願 極楽浄土に生まれる修行者は、たとえ善行の積み重ねが小さいものであっても、覚りの象徴である菩提樹を見る。菩提樹は限りなく光り輝き、高く高くそびえ立っている。第二十九願 極楽浄土に生まれる修行者は、仏の教えを理解し、口に称え、心にた…

極楽浄土の心をたずねる旅その二十二 一切のモノ・コトは、清らかで美しい

第二十七願 極楽浄土に生まれる人たちにとって、すべてのモノ・コトは、清らかで美しく、形も色も並ぶものがなく、極めてすぐれていることは計り知れない。その有様や数を明らかに知り尽くすことも到底出来ないぐらいだ。[薫] 「清らかで美しく、形も色も…

極楽浄土の心をたずねる旅その二十一 菩薩は智慧と強い肉体を持つ

第二十五願 極楽浄土に生まれる修行者は、一切智(イッサイチ=一切を知る仏の智慧)を自由に演説する力を持つ。第二十六願 極楽浄土に生まれる修行者は、仁王さまのような強い肉体を得る。[薫] 一切智(イッサイチ=一切を知る仏の智慧)とはなんでしょう…

薫の葉書 極楽浄土の心をたずねる旅その二十 様々の仏さまとの出会い

第二十三願 極楽浄土に生まれる修行者は、阿弥陀仏の不思議な力を授けられ、一瞬の間に様々の仏さまと出会い、教えを学び、敬意を表することが出来る。第二十四願 極楽浄土に生まれる修行者は、善行を積み重ねるために様々の仏さまに差し上げる品々を、思い…

極楽浄土の心をたずねる旅その十九 仏さまのような人

第二十一願 極楽浄土に生まれる人たちは、立派な身体を持っている。第二十二願 極楽浄土に生まれる人たちは、必ず覚りをひらき、仏になることが約束される。 ただし、この世の悩める人々を救済するために、仏にならずにこの世に止まることも出来る。仏教の教…

極楽浄土の心をたずねる旅その十八 極楽浄土へ生まれる三つの道(8)臨終のお迎え

[薫] 国宝級の仏教絵画に、「弥陀来迎(ミダライゴウ)図」とか「山越え(ヤマゴエ)の阿弥陀図」などがあります。 臨終の時に、大勢の菩薩や聖者を引き連れた阿弥陀仏が現れ、亡くなる人を極楽へ導いてくれる様子を描いた絵画です。これは第十九願後半の…

極楽浄土の心をたずねる旅その十七 極楽浄土へ生まれる三つの道(7)救済からの除外規定

[薫] 簡略化するるために省いてきた内容があります。 第十八願に「五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものは救済対象から除く」という但し書きがあります。五逆とは次の五つの罪で、これを犯したものは無間地獄(ムケンジゴク=間断の無い苦しみの地獄)…

極楽浄土の心をたずねる旅その十六 極楽浄土へ生まれる三つの道(6)同行二人の他力

[敬] 東海禅寺 http://www.fromkiyama.com/tkj.htm [薫] 四国の弘法大師八十八箇所の霊場を巡礼するお遍路さんが歌う「ご詠歌(ゴエイカ)」の一つをご紹介します。『法悦歓喜のご和讃(ホウエツカンギのごワサン)』み親を知れるその日より なぜか心がと…

極楽浄土の心をたずねる旅その十五 極楽浄土へ生まれる三つの道(5)他力本願

[敬] 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 http://www.fromkiyama.com/mrg.htm[薫] 他力本願(タリキホンガン)という言葉を聞いたことがありますか? 政治家が『棚からぼた餅を待っているような他力本願ではいけない。自力(ジリキ)を信じて努力する精神が必要だ…

極楽浄土の心をたずねる旅その十四 極楽浄土へ生まれる三つの道(4)確かめにくい信心

第十八願の続きです。 「ただ信じる」ことは、宗教的体験であって、論理的合理的に説明できることではありません。『イワシの頭も信心から』とどこが違うのか、といわれます。ちなみに『イワシの…』は節分の夜にイワシの頭をヒイラギに刺して門口に置くと悪…

極楽浄土の心をたずねる旅その十三 極楽浄土へ生まれる三つの道(3)ひたすら信じる

[薫] 第二十願の世界では、阿弥陀仏の救いの手に私を委ねるのではなく、念仏する自分の力で極楽浄土へ生まれ変わろうとしているのです。それでは、難しい修行を通じて往生しようとする人たちと同じです。深夜に山中を回峯したり、燃える火を裸足で越えたり…

極楽浄土の心をたずねる旅その十二 極楽浄土へ生まれる三つの道(2)寝ても覚めてもお念仏

[薫] 私の行いを振り返り、心の中を見つめてみると、とても極楽浄土へ行けるほどの善行を積み重ねることは難しい。ここは一つ、阿弥陀さまにすがるしかない。 それが第二十願。阿弥陀仏の名を聞いて、南無阿弥陀仏を称える効果によって極楽浄土へ生まれ変…

極楽浄土の心をたずねる旅その十一 極楽浄土へ生まれる三つの道(1)信と善と念仏と

第十八願 阿弥陀仏の誓願を真心から信じて、疑うことなく喜び、極楽浄土へ生まれ変わりたいと願うものは、私の名を僅か十回でも称えるえるならば、必ずかなえられる。第十九願 覚りを求める心をおこして、善行を積み重ねる効果によって極楽浄土へ生まれ変わ…

極楽浄土の心をたずねる旅その十 すべての仏さまの共通する願い

第十四願 極楽浄土では、聞法する修行者は無限で、数え切れない。第十五願 極楽浄土に生まれた人たちは、すべて寿命は無限である。ただしこの世の悩める人々を救いに行くために、浄土での寿命を短縮したいものは認められる。第十六願 極楽浄土に生まれた人た…

極楽浄土の心をたずねる旅その九 仏さまの智慧と慈悲は、いつでも・どこでも・だれにでも

第十二願 極楽浄土では、光明は無限であり、あらゆる世界を照らす。 第十三願 極楽浄土では、寿命は無限であり、はかり知れない遠い未来にも尽きない。 [薫] 光明(コウミョウ)は仏さまの智慧を象徴し、四方八方上下のあらゆる空間に輝きます。 寿命(ジ…

極楽浄土の心をたずねる旅その八 私も仏さまになれる約束

第十一願 極楽浄土に生まれる人たちは、煩悩が完全に滅ぼされた境地に至ることが約束され、大いなる心の平安を得られる。[薫] この第十一願は第一願から第十願までのまとめです。○地獄、餓鬼、畜生、修羅の心を遠ざける ○平等を宣言する ○神通力(ジンツウ…

極楽浄土の心をたずねる旅その七 神通力(ジンツウリキ)を自覚する

第五願 極楽浄土に生まれた人たちは、すべて宿命通(しゅくみょうつう)をそなえている。 第六願 極楽浄土に生まれた人たちは、すべて天眼通(てんげんつう)をそなえている。 第七願 極楽浄土に生まれた人たちは、すべて天耳通(てんにつう)をそなえている…

極楽浄土の心をたずねる旅その六 平等宣言

第三願 極楽浄土に生まれた人たちは、金色一色に光り輝いている。 第四願 極楽浄土に生まれた人たちは、容貌に違いはなく、美醜の差別もない。[薫] 「金色一色に光り輝く」とは、肌の色による人種差別がないという意味です。 インド大陸では黒色系の先住者…

極楽浄土の心をたずねる旅その五 地獄、餓鬼、畜生、修羅の心を遠ざける

第一願 阿弥陀仏の願いが実現した極楽浄土には、地獄、餓鬼、畜生、修羅の迷いはない。第二願 ひとたび極楽浄土へ生まれかわった人たちは、決して地獄、餓鬼、畜生、修羅の迷いの世界には戻らない。[薫] ○地獄は怒りの炎が燃え盛り、都合の悪いことは他人…

極楽浄土の心をたずねる旅その四 極楽はどこにあるか(下)心のあり方

[薫] 心のあり方説。この世で修行によって覚りを開いたら、そこが浄土。これは禅宗系に見られる考え方です。極楽浄土への往生を願う浄土宗や浄土真宗でも、阿弥陀仏の教えを信じ帰依したら、その心の持ち方が極楽浄土である、という人たちもいます。 この…

極楽浄土の心をたずねる旅その三 極楽はどこにあるか(中)この世の理想

[薫] 次にこの世の理想説。仏教の教えの多くは、人間社会の倫理道徳と重なります。 殺さない、盗まない、不倫をしない、嘘をつかない、酒を呑まない、これが仏教徒の五つの戒律です。平等、布施、慈悲、回向(えこう)など、他人の幸せを願う教えも沢山あ…

極楽浄土の心をたずねる旅その二 極楽はどこにあるか(上)あの世、この世、心

[薫] 極楽浄土はどこにあるのでしょうか? 答えは三つです。 (1)あの世。この世で善行を積んだり、仏さまを固く信じた人が生まれかわって行く国 (2)この世。仏教の教えを実現する理想の国 (3)この世とかあの世ではない。心のあり方まずあの世説につ…

極楽浄土の心をたずねる旅 その一 極楽はどんなところか

[薫] この世の地獄か、と思う事件が続くものですから、極楽が恋しくなりました。 人々の苦しみを救いたいという願いによってつくられた、仏さまの国が浄土(ジョウド)、なかでも阿弥陀仏(アミダブツ)の浄土が極楽(ゴクラク)浄土です。阿弥陀経には次…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その二十五 仏教は絶対平和主義です[最終回]

「かれはわれを罵った。かれはわれを害した。かれはわれにうち勝った。かれはわれから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに止むことはない。実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの止むことがない。怨みを…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その二十四 花島観音・印旛村観音

私はしばしば近郊の里山を歩き、四季折々の自然を楽しみます。そこでは数多くの神社、お寺、辻堂、塚、石仏との出会いがあり、多くの村人がしてきたと同じように、私も帽子を脱ぎ、頭をたれ、合掌し、しばし黙祷して祈ります。 先日も千葉市花見川地区を歩い…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その二十三 秩父の観音さま

1月に埼玉県秩父の三十四観音霊場を5泊6日で歩いたことがあります。冬の山国は、氷と雪と木枯らしに閉じこめられた寒気の固まりでした。東京都心から2時間でいける行楽地もさすがに訪れる人はなく、四国とは違って沿道での「お接待」という習慣もありません…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その二二 親鸞聖人

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人(1173〜1262)がお作りになった和讃(わさん=信仰する対象を柔らかな言葉で賛美する詩の形式)を三つご紹介します。救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して 多々のごとく捨てずして 阿摩のごとくにそひたまふ[現代語] 救世観音さ…

憎悪と暴力からの救い〜観音さまの慈悲〜その二一 法隆寺・救世(ぐぜ)観音と聖徳太子

聖徳太子を祀る奈良法隆寺に「救世(ぐぜ)観音」さまがお住まいです。太子は仏教の導入に熱心で、経典の解説、寺院の建立、教えの普及に尽力されました。有名な十七条憲法の第一条は『和を持って貴(とうと)しとなす』、第二条は『あつく三宝(さんぽう=…