現代の妙好人、榎本栄一さんの詩に思う その五

「念仏のうた−常照我(じょうしょうが)」樹心社発行 から

■ 罪業深重(ざいごうじんじゅう)
私の中は深い海 くらいここで もやもやゆれるは
縁(えん)にふれたらとびだす 未発(みはつ)の罪

■ 地獄一定(いちじょう=来世の地獄行きが定まっている)
人の世にある悪は 私も心の中で犯している ただそれが 人前にあらわれぬだけ

■ だいじな地獄
地獄へおちるたびに 私の心の眼が またすこしひらくようで
ほんに地獄は 私の だいじなところ

■ てぶらの念仏
阿弥陀さまにあうのに 手みやげはいらぬ あるがままの てぶらの
南無阿弥陀仏で おのずから 御摂取光(おひかり)のなか

■ 白昼夢
一生のはてに 私がなりたいのは あの野道にたつ 作者不明のお地蔵さま

地獄行きの罪を自覚します。すくわれます。
仏教でいう罪悪とは、殺す、盗む、不倫、うそ、おべんちゃら、悪口、二枚舌、どん欲、怒り、愚痴の十悪です。私の胸に手を当ててようく考えてみると、ずいぶん罪を犯していますから、来世は地獄か餓鬼か畜生か修羅か。その罪を反省して懺悔すればすくいとってくださるのが阿弥陀さま。実際に地獄に落ちてしまった人を、閻魔(えんま)さまと交渉して救出してくれるのがお地蔵さま。
榎本さんは、自分の罪を自覚しよう、私をすくいとってくれる「はたらき」におまかせしよう、それが宗教心だと教えてくれます。普通の人は、普通は人殺しはできませんが、戦争になると別です。大勢殺した方が英雄なのです。私達の心の中に、こっそりと鬼が隠れ住んでいて、なにかの拍子に飛び出してくるのです。また、実際に行動しなくても心の中で犯している罪は数え切れません。阿弥陀さまにはお寺へいかないと会えませんが、ちょっと郊外を散歩すればお地蔵さまが待っていてくれます。なんとも有り難いことです。