善光寺

日本最古の歴史を持つ長野県善光寺長野駅そのものが善光寺門前町で、すさまじい集客力です。
歴史上の有名人が多く関わる1400年の歴史と、独自性の高い出自と信仰システムが善光寺の隆盛を支えています。善光寺がここまで信者を集めたのは以下の理由からでしょうか。

・ 信者のプロファイルを限定しない。無宗派。女性OK。古い時代に女人禁制でなかったのは珍しく、女人救済の寺として有名になったので、江戸時代には参詣者の半数が女性だったそうです。
・ 一般人が建設したというユニークな由来と古代ロマン。仏教派の蘇我稲目と対立していた廃仏派の物部尾輿は、蘇我稲目の向原寺を焼き払い、祀られていた大陸伝来の阿弥陀三尊仏を、難波の堀江に捨ててしまいます。これを拾ったのが、難波に来ていた信濃の本田善光という一般人。本田善光は、拾った仏を自宅に祀ります。つまり、善光寺とは、よしみつさんのお寺なのです。だから無宗派なんですね。よしみつさんは、奥さんと息子さんとともに本堂に祀られています。
・ 全国に拡がった善光寺。霊験あらたかな御本尊は、戦国時代、戦国武将に奪われて自分の領土に持って行かれます。長野→甲府武田信玄)→岐阜(織田信忠(信長の長男))→尾張清州(織田信雄(信忠の弟))→浜松鴨江(徳川家康)→甲府徳川家康)→京都(豊臣秀吉)→長野に戻る。各武将が自分の領土に「善光寺」を立てたので、かえって、全国に名前が拡がる結果となりました。全国に、「善光寺」を正式名称とするお寺は119ヶ所、「善光寺仏」は443体あるそうです。
・ 内陣の地蔵菩薩像と弥勒菩薩をはじめ、芸術作品として一級品の数々。中でも「びんずる尊者」は素晴らしい。来訪者が参加してできあがる現在進行形の仏像は、観客参加型の現代アート作品を連想させます。
・ 期待と想像を刺激する「秘仏」システム。ちなみに、7年に一度の御開帳は、秘仏と同じ姿の前立本尊で、秘仏はあくまで絶対秘仏です。
・ 暗闇を歩いて秘仏の本尊と結縁する「お戒壇めぐり」システム。
天皇に庇護されたお寺。皇極天皇が、本田善光に高い地位を与え、伽藍造営を命じます。だから、明治の廃仏毀釈も乗り切ったのではないでしょうか。

私が疑問なのは、これだけの経済力をもった寺が、なぜ特定宗派にとりこまれなかったか、ということ。今は、天台宗と浄土宗が共同管理、ということになっていますが、実態はどうなっているのでしょう?
また、なぜ秘仏になったのか。654年頃に仏の宣託によって秘仏になったと伝えられていますが、詳しいことは不明です。

写真付きの善光寺紹介は→http://www.fromkiyama.com/zkj.htm